ねっとりとした(私の)返信

クリスマスが過ぎると、世の中は晦日に向かっていくようです。日常の私事は何も変わらないのに。でも、それが日本の文化であり風土であるのでしょう。


さて、素敵なクリスマスカードをありがとうございました。中に入っていた葉は月桂樹の葉ですか?そのあたりの木の葉にしては、香りがあるので...気のせい???


夢はすべて自分の中から作り出されるものです。夢は自分の外からのメッセージも含まれるものです。どちらで考えても、あるいは両方の絡みと考えても奥深いものですよね。


> 「確実なのは死に向かって生きることだ」
ある真実を突きつける言葉は、別の真実に当てはまらることがよくあることです。当てはまらないことも。


(中略)○×先生にしろ、傾倒することは悪いことではないのでしょうが、呪縛されると怖いですね(苦笑)


今年もあと僅かです。体調管理も含め、心身のコントロールを工夫しながら新しい年をお迎えください。

私は、河合隼雄さんの本を読んで、自分を呪縛する一節を導き出してくることが多いようだと最近気づきました。「臨床家 河合隼雄」にも死に関することを柳田邦男さんがレポートしていました。河合さんも、けっこうネバならないという言葉をところどころで使われますよね?

最近、父の言動を聞いていて、「自由からの逃走」と一人ごちたことがあるのですが、まさに自分自身も、自由の中で自分を結局は束縛するようなdisciplineを求める傾向があったことを思い出しました。(一方で社会的な縛りである学校からは落ちこぼれていってしまうのですが。)

宗教のレベルにいくとそういう非合理な信念に向き合わざるを得なくなりますが、人を束縛するではなく、自由にするのが宗教の本質であるといいますので、きっと自由になるための過程で自分の中から課題として出てくるのかもしれません。(スピリチュアリティと合理性は仲良くできるのでしょうかという質問に自分で答えてみた。)

諸行無常はあらゆることに当てはまります。google:無情]と[google:無常を間違えたのですが、無情というのは無常とは別の意味でかなりきつい言葉ですね(単語入力の際に出て来るマイクロソフトの辞書によれば)。恨みがましささえ感じます。そのときの感慨を無常というか無情というかではまったく違った表現になりそうです。

クリスマスが過ぎて世の中の景色が変わることも無常(〔仏教〕人の世がはかない「無常感」)ですね。それを無情(思いやり・感情がない「無情な仕打ち」)というとやはり感情的な恨みを感じます。うつ状態かも知れません。

家の庭に生えている月桂樹の葉を、洗って乾燥させ、封筒に保管してあったもの(瓶詰めにするともっと香りが残っているんだと思います。)詰めました。虫食いのは洗濯ネットに入れてお風呂に入れたり、コンポストに入れたり、カレーなどの料理にも使います。トイレの防臭にも使いました。