夏になったら、といわれていた美容室。前回切ってから二ヶ月以上経ってしまいました。電車代(2100円)とか色々考えていたけど、思い切って出かけることにしました。(※29日の時点で出かけていない。)

夏ばて気味で時間を無駄にしているように思いますが、どうして→どんな目的で私は時間を無駄にしているのだろうかと考えると、必要があってそうなっていると考えると、それは目的志向が強すぎることへの抵抗と思われます。

また、無駄にしているというのは価値付けでありますから、それが本当にムダなのかと問いかけることもムダではないでしょう。

私は中毒・耽溺に悩みながら、一方で飽きっぽさ、はまれなさに思い悩んでいます。それは同じものの両極なのです。私ははまり込むことに悩みながら、別のことでは飽きること、気の散ることにも悩むのです。

どちらも必要が起こって出ている現象だとすればどうでしょう。どのような目的でこれらは現れるのでしょうか。はまり込みや抜け出すことそのものになってみる。それを増幅してみましょう。

私は現実を受け入れられません。忘れたい。色々なものに目をつぶりたい。(そのことが、視力の低下という身体症状ともつながりを持っているでしょう。)こんなものは自分ではない。

魂のコードを読むと、この世に降り立つこと、グロウダウンするという言葉が出てきます。この世で生きていくことを学ぶこと、忘れたい現実に目を向けることだと思います。私は何を避けているのか、忘れたいのか、それ自体がわからなくなっていました。

行動療法的に考えれば、私はまず目を開くことから一歩をはじめることにしましょうか。それとも、目をつぶるというプロセスそのものにしたがっていくことからはじめましょうか。何一つ必要ではないものはないのだから。耳を澄まし、声を聞くことからはじめましょう。