朝起きて

朝、パソコンを立ち上げるか迷う。ブーンとうなり声を上げる起動音で、朝の静謐な、さわやかな時間が、失われると思うからだ。その貴重な時間を読書に費やすのか、パソコンに費やすのか。本を読みながらパソコンを起動し、フィードリーダーを閲覧しているうちに朝の時間は過ぎていった。(家族は外出。)ブログを立ち上げるのは後回しになる。
朝、起きるかどうかも迷う。早すぎると睡眠不足からつらい思いをし、遅く起きるとどうも具合が悪い(どんなに遅くまで起きていても、定時に起きることを精神医学は薦めている。では、病んでいるときでも早起きを薦めるのだろうか。)寝不足の辛さがないのはいいが、出遅れた感じがする。そうすると朝の読書も体操もできない。朝ごはんもいい加減になりがちである。
眠れずに、いろいろとするのは、そうすることに意味があるのだ。まだ眠れないと身体(脳)が主張している。何か遣り残したことがないか考えてみるといい。新聞の読み残しといった些細なことでもいい。あるいは、もっと長いスパンの、人生で遣り残した、手を尽くしていないことが気になっているのかもしれない。そういう未知の可能性を探る時間が、夜中「眠れない」ということを通して現れるとは。(科学は違うことを教えるかもしれない)