期待にこたえるのではなく

家族のこと、仕事のこと、趣味のこと。どれもブログに書きにくいことだ。そして、かけないことよりも、かけることに関心がある。ブログにかけないことよりも、考察し、表現し、実行に移せることに関心がある。そして、そうでないものからは離れていくのがいいと思うようになった。(そういう思いが僕の中にあるんですね。)

実際にそうするかはともかく、ここに書けるような、個人的なこと、誰かを中傷したりする必要のないごくプライベートなこと、感じ、感情、気持ちに焦点を当て、認め、受け入れ、日記で、ブログで、絵で、言葉で表現することによって開放(解放)する。それは吟味の対象になるかもしれない。それはともかく感じる。言葉に出さずに抱きしめる。そして言葉に出して吟味する。

誰かの期待にこたえる生き方でなく、自分のしたいことを(したい放題という言葉に、否定的なニュアンスを込めず、或いはその負の側面をも知りながら)実現していく人生、そしてそれを引き受けていくいき方。それを望んでいる。

君にしかできないという言葉は、ほめているようでそうは感じない。とても窮屈に感じる。君にしかできないと言っている他者の期待にこたえなければならないように感じるからで、私は他にしたいことができても、その期待ゆえにそれができないのは拘束と感じる。それは何故か。

自分がしたいことをしていく。決して、「君にしかできない」と他の人が言うことをするのではなく・・・。自分がしたいことをしていきたい。もう一度いおう。「こうしたい」という気持ちを大切にしたい」そう思う。(そう思う自分がいるんですね。)

titleを考えているとき、したいことをする人生〜「自分のための人生」を思いついた。翻訳家の山川紘矢さんがmixiなどでしょうかいしていた翻訳書だ。高校生のとき読んで家にあったが、どこにあるか分からない。それで読んでない。秋葉原ブックオフに105円で売ってた。

今とてもこの本が読みたい。

自分のための人生―いま、賢明に生きていますか

自分のための人生―いま、賢明に生きていますか

自分のための人生―“自分の考え”はどこへいった!

自分のための人生―“自分の考え”はどこへいった!

単行本は1984年に出た。