怒りは何も生まない

以前から購読していた「紘矢・亜希子の自由気ままに」の二人が、
Yahoo!ブログ、mixiとネットでの表現媒体を広げられ、紘矢さんにはマイミクになって頂いたので、日記を楽しみに読んでいます。

mixiでの僕の活動も、スピリチュアルな感性を養う場所にしたいものだと考えています。

今日、川越に行き、ブックファーストでいろんな棚をあさりました。


それから、池袋に移動する前に、QBで髪を切ろうかと覗いたところ、
店員は客がいないなか、あくびをしていました。躊躇しましたが、
髪が伸びているのが気になっていたので、入店しました。


川越駅中のお店は、昨年末お客が少ないとき、丁寧に時間をかけてくれたのですが、今日は人も居ないのにあっさりと終了、ちゃんとやってくれたのか不安に思いました。

1000円程度、と1000でお釣りが来る。
昨年は、夏から髪を切っていなかったので、時間が掛かっただけなのかも知れません。


僕は、お客として大事にされたい、お金を払うからには払っただけのものが欲しいし、がっかりさせられたくない。
それなのに、人によって当たり外れがあることに、意味を見い出します。

怒りは何も産み出さない、必要なことが起こっているだけだと思うだけで、
自分の怒りをそのままにすることができます。
自分が巻き込まれないので消えるに任せられるのです。
また消えない怒りをそのままにして置くことができるのです。


こちらの言うことが分からない彼。話が伝わらないとフラストレーションを感じます。


僕は、そんな彼の思いや態度によって、例えどんなにいい加減な態度で彼がいようと、そのことで僕が損なわれることはないのだと、ふとそんな風に紘矢さんの日記を読んで感じたんです。


僕は通りでお金を巻き上げられたことを思い出しては怒り、カウンセラーのことを思い出しては葛藤に身を引き裂かれそうになったりします。
許すこと。全ては私の心が産み出したものなのだというのが、華厳の唯心偈でした。